イタリアのくらしの紹介
イタリアの人々とハウスキーパー
イタリアにはフィリピン系の移民の人たちが、大量にいるんです。
そして、彼女たちの職業はハウスキーパーさんなのです。
キーパーさんの仕事内容は、求めに応じて一般家庭の家事業務を行うことです。
ただし、家計を預かるような金銭面に関わることはしないことが多いです。
一人暮らしの老人の家庭や家事を行う人が不在の家庭で、炊事・掃除・洗濯・買い物など、家庭の維持に必要な仕事を行います。
ベビーシッターも行います。
親が働いていたり、病気などの家庭において、親に代わって子どもの世話をします。
散歩や絵本の読み聞かせなどを行い、遊びの相手をします。その合間に、掃除や洗濯といった家事を行うこともします。
病人や寝たきり老人の世話もします。
オシメの取替えや体を拭くなど身の回りの世話をします。
また、医師や看護師の指示の下で、筋肉の衰えを防ぐための運動のお手伝いをすることもあります。
似たような職業にヘルパーがありますが、キーパーとヘルパーの仕事内容は少し違います。
ヘルパーは高齢者のための介護や家事援助を主として行う人を指すことが多いようです。
キーパーさんの時給はどの位なのでしょうか。
1時間あたりの賃金つまり時給は、就労形態に応じてかなり異なります。
また、都市部と地方でも格差が大きいです。
3時間から5時間程度の短時間の仕事の場合、時給は1100円~1800円と相場にもかなりの差があります。
朝から夕方までの日勤の場合は、時給よりは日給で支払われます。
6時間勤務・7時間勤務・8時間勤務と日勤でも勤務形態は様々ですが、7000円~10000円が相場です。
時給換算すると、900円~1500円と考えたらいいと思います。
夕方から朝までといった夜勤の場合も、日給のことが多いです。
また、泊り込みの場合は、15000円~18000円が相場のようです。
家政婦の時給は一見高そうに見えます。
家政婦になるのに必要な学歴や資格はありません。
しかし、家事一般の経験が必要ですし、求人先によっては資格や経験や年齢といった条件が求められることもあります。
家政婦になるには、まず家政婦相談所に登録することから始まります。
家政婦相談所とは、家政婦を必要としている人に家政婦を斡旋する所です。
個人家庭から求人があれば、相談所から連絡があり、紹介状を持参して面接に行きます。
求人者から仕事の条件を明示され、両者の同意があれば労働契約の成立になります。
家政婦相談所は家政婦を斡旋する所なので、求人したお客が家政婦の雇用主になります。
そのため、もちろん指揮命令と責任はその人になります。
最初の求人との雇用契約が終了すれば、家政婦相談所より、次の求人者を紹介してもらえます。
求人者が満足してくれている限り、ずっと続けていくことのできる職業です。
家政婦には、通いの家政婦さんと住み込みの家政婦さんとがあります。
突然、恋人が、「僕のフィリピン人(女)」といっても恋人または愛人を表しているのではありません。それは、「うちの家政婦さん」と言う意味です。
イタリアは基本的に共働きの国なので、ハウスキープ、ベビーシットを兼ねた家政婦さんの存在は必要不可欠です。
鍵を預けて、留守の間に掃除や洗濯、子守までさせてるわけだから、ある程度以上の信頼関係は不可欠でしょう。それでも、時々食器がなくなっていたり、知らない間に国際電話をかけられたり、いろいろあるにはあるようですが、仕事を持つお母さんには必要不可欠な人たち。なわけです。
大雑把なくせに、ハウスキーピングには命をかけるイタリア人。
アイロンかけというみんなが嫌いな仕事もハウスキーパーさんの出番となるわけです。
わたくしのパンツ等も、時々恋人の家の洗濯機にぶち込んでいたりしていたのですが、それらも美しくアイロンがけされて渡されました。
靴下ももしかして、普通はかけるのかも・・っていうかそれは家政婦さんの仕業なのではなく、イタリアでは普通のことなのかも・・
さてイタリア映画を紹介しながらのんびりワインを飲みますね。
日本制作のイタリア映画
冷静と情熱のあいだ / Calmi cuori appassionati 1990-2000年、フィレンツェ、ミラノ、東京。かつて恋人同士だったふたりのその後と再会のラブストーリー。 フィレンツェで絵画の修復士をしている阿形順正。アメリカ人実業家とミラノで暮らすあおい。順正とあおいはかつて恋人同士であったが、現在ふたりは互いの想いを知ることなく別々の人生を歩んでいる。「10年後のあおいの誕生日にふたりでフィレンツェのドゥオーモに登る」・・・・その頼りない約束だけがふたりの存在を結びつけている。ふたりの関係はどうなるのか。 回想のシーンも含めて10年にわたるストーリーだということ、順正がフィレンツェ、あおいがミラノと舞台となる場所が違うことから、時間的・空間的にストーリーそのものが複雑になってしまうのは避けられない。また、原作と違い、順正の視点が多いためにあおいの気持ちが今ひとつ伝わってこないのが難点ではある。 映像は本当にイタリア好きには嬉しい、素敵なもの。フィレンツェの空撮、あちらの通りからも、こちらの通りからも建物の隙間に見えるドゥオーモのクーポラ。トラムが行き交い、そのトラムを掠めるように人々が線路を渡っていくミラノ。 フィレンツェ:ミラノ、過去:現在、情熱:冷静、順正:あおい、とうい図式がこのストーリーの中核。 観光や芸術品の修復という過去の遺産にすがるように生きるしかないのんびりとした街・フィレンツェで、修復士という過去と向き合う仕事を選んだ順正。ビジネスの中心として発展する気ぜわしい現代の街・ミラノで、「昔のことはわすれたの」と言い、順正の祖父が描いた絵を違う絵に架け替え、過去を切り離そうと生きるあおい。ふたつの街の対比がそのまま順正とあおいの気持ちの差であるようだ。 前を向いて冷静に生きようとするあおいと、過去の情熱を忘れられずにひきずる順正。冷静と情熱。ふたりは互いを思っていないわけではないが、その思いには温度差がある。そしてふたりはそのことにも、自分の正直な気持ちにも気づいていない。 原作は、順正の視点から書かれた「Blu」とあおいの視点から書かれた「Rosso」の2冊。雑誌掲載時には、RossoとBluが1章ずつ交互に掲載されていた。その特殊な形態を生かして映像化するならば、TVドラマのほうが適していたかもしれない。また、小説と映画とは別の作品であることは承知しているが、やはり、「もしもどこかで順正が死んだら、私にはきっとわかると思う。」という、小説の冒頭のあおいのセリフが映画から削られてしまったのは、もったいなかった。 ロケ地 / フィレンツェ、ミラノ、東京