映画紹介

アルテミシア|明日、陽はふたたび|家の鍵

アルテミシア / Artemisia 1610年、ローマ。実在の画家であり、歴史上に初めて名前が登場する女流画家、アルテミシア・ジェンティレスキの半生を描いた作品。 画家である父の仕事を手伝いながらスケッチを繰り返し、絵を描くアルテミシア。当時画家といえば男性であり、アカデミアも女性であることを理由に入学を拒否され、勉強の道は閉ざされていた。残された方法は、個人的に他の画家に師事すること。結局父の仕事上のライバルでもあるアゴスティーノにその才能を認められ、弟子入りすることになった。が、彼女はそこで画家として学ぶだけでなく、女としての歓びも知ってしまう。 アゴスティーノとアルテミシアとの関係を巡って、彼女の父親も含めた周囲の人々は騒ぎ立てる。彼女を守ろうとして、父のとった行動がかえって、アルテミシアにのしかかってくる。奔放であると同時に純粋であったがゆえに。 女性が男性のように生きるのではなく、女性のまま男性と同じことをしようとする。当時そのためには、たいへんな苦痛がともなったということであろう。たとえ才能ある者であっても。ストーリー後半は、彼女を思う周囲の人たちによって愛する人から引き離されていく女性の痛みと、周囲に理解されない悲しみが伝わってくる。 女性の権利を主張するような内容ではけしてないのだが、女性であるがゆえにせおってしまったものの存在を意識せずにはいられない。 映画中に登場する作品「ユディトとホロフェルネス」は、フィレンツェのウフィッツィ美術館・ヴァザーリの回廊に展示されている。また、彼女の作品のような強烈な明暗の対比を用いる絵画の手法は、カラヴァッジオに端を発するものとして、これらの手法を用いる画家たちを「カラヴァッジスキ」という。 ロケ地 / ローマ 製作 / 1997 フランス ・ イタリア [フランス語作品] 監督 / アニエス・メルレ キャスト / アゴスティーノ … ミキ・マノイロヴィチ
明日、陽はふたたび / Domani 1990年代、カッキアーノ。古くからの丘の上の街を襲った大地震。地震によって壊された街とひとびとの生活。再生していく中で否応なく変化する人間関係。 夜中に起こった大地震をきっかけに非日常的な生活を強いられるようになったカッキアーノのひとびと。住宅が不足しているため、複数の家族でひとつの住宅に住むことを余儀なくされる。教会も学校もバールも、街中が地震の前とは違う。その中で変化していく人間関係や見えてきたもの、ひとびとの思いを丁寧に描写した作品。 復興のために奔走し、家族のための時間が減ってしまった父親。その一方で、同居することになった男性に優しくしてやる母親。そんな両親の関係が心配でしかたないアゴスティーノ。痴呆の症状が出始めた老女を笑うアゴスティーノの兄フィリッポ。仲良しのヴァーレとティーナはふたりともアゴスティーノが好き。教師のベティは自分のルックスにコンプレックスを持っているが、イギリス人の修復士アンドリューと親密な関係に。妻は子どもが欲しくてたまらないのに、子どもよりも聖母マリアの絵の修復に気持ちが向いているアンドリュー。 押し込められた空間の中で、男女の関係も、おとなと子どもの関係も、女同士の友情も、少しずつ以前のままではいられなくなってくる。 空間は密度を増し、他者との関わりは避けられない。そして、ひとびとは己の弱さをさらけだして、強く、たくましくなっていく。復興していく街の変化と同時に描かれる人間関係の変化。時には子どもの目線で、時にはおとなの目線で。各々のエピソードを積み重ねながら、街は再生していく。 ただでさえ、感受性が強い年頃の少年・少女たちの心情は、地震などなくても揺れ動き、変化するもの。さらに地震による環境の変化というファクターが加われば、その変化も加速する。大人たちの行動に敏感になり、それを理解し自分を納得させようと行動するアゴスティーノに代表される彼らの心情やその変化の描き方が秀逸。特にフィリッポがモッチャ夫人に靴を履かせてあげたシーンは、彼の変化が如実に描かれていて印象的。つらい状況の中でも子どもたちはそれぞれ、確実に成長しているのだ。思春期の少女の描写はアルキブジの得意とするところ。ラストシーンは、時間の流れを’可愛く’見せたという感じで「かぼちゃ大王」のラストにも通じるものがある。 1997年に実際にウンブリア地方で起こった地震の話が元となっており、ロケ地もその地震の被害にあった街なので、映像はアッシジを思わせるものがある。ストーリー自体はフィクションだが、細かなエピソードなどは地震の体験者に取材しているそうだ。おそらく「教会より先に家を修理してくれ」というのは、実際のウンブリアの地震でも言われていたことなのだろう。 カッキアーノの財産であり、修復の対象となる絵画は、フラ・アンジェリコの「受胎告知」。フィレンツェのサン・マルコ修道院にある作品を基にしたものと思われる。 ロケ地 / セッラーノ カッキアーノは架空の街。実際のロケは、97年の地震により廃墟となってしまったセッラーノという街で行われた。 製作 / 2001 イタリア 監督 / フランチェスカ・アルキブジ キャスト / フィリッポ(アゴスティーノの兄) … ニッコロ・センニ ステファニア(アゴスティーノの母) … オルネッラ・ムーティ 文化庁の役人 … パオロ・タヴィアーニ 関連書籍 / 『明日、陽はふたたび』           フランチェスカ・アルキブジ 【著】          吉岡 真名実 【訳】 愛育社           … アルキブジ自身によるノベライズ。
家の鍵 / Le chiavi di casa 2000年代、ドイツ、ノルウェー。事情があって離れて暮らしていた息子・パオロと、同居することになったジャンニ。ベルリンの病院へ向かう二人の交流を描く。 ジャンニは、息子のパオロと離れて暮らしていた。障害のあるパオロは叔父夫婦と暮らしていたが、リハビリテーションのためベルリンの病院へ行くことになった。そして、これを機会にジャンニはパオロと暮らすことになる。ドイツでの治療にあたって、初めて息子・パオロと向き合うジャンニ。親として、障害者を支える家族として、戸惑いを隠せないジャンニは、同じような境遇のニコルと出会う。 血の繋がった親子とはいえ、15年も離れていた2人はお互い初対面同然で。しかも親である自分の事情で子どもと離れていたとなれば、再会の気まずさ、居心地の悪さは、身から出た錆とはいうものの、避けようのないものだろう。 そのうえ、普通であれば初めての子どもが生まれたときに、親の方も”親として1年生”であるわけで、子どもの成長とともに、親も2年生、3年生と経験を重ね、親として成長していくわけである。ところが、ジャンニは妻との間に幼子がいるとはいえ、パオロとは年齢が違い過ぎる。つまり、ジャンニはパオロに対するとき、親としての経験が圧倒的に不足しているのである。一方、パオロには親代わりの叔父夫婦と暮らすことで、親との接し方も、健常者との暮らし方も、年相応の経験がある。 パオロとジャンニとの間には、離れていた時間と距離以外にもギャップが存在しているのである。そして追いついていないのは、父であり、健常者であるジャンニの方だ。 パオロが障害者であることに目を奪われて、「障害者」と「健常者」という図式にストーリーが集約していく錯覚を覚えるけれど、2人の間にある、いくつかの埋めなければならない溝の中で、一番必要だったものは、ジャンニの親としての経験だったのではないだろうか。 数日間行動を共にするという密度の濃い時間の中で、ジャンニがどれほど親として成長し、パオロに追いつくかが、この作品の隠されたテーマなのではないだろうかと思うのだが、ラストシーンを見る限り、ジャンニは目標に達するには、もう少し時間が必要そうである。 年上であったり、障害がなかったりすることによる優位性は、普遍的なものではない。そのことを認識していることが大切なのは、なにもジャンニとパオロの親子に限ったことではない。 ニコルを演じるシャーロット・ランプリングは圧倒的な存在感。彼女が語ることばは、健常者同士の親子にも当てはまるけれど、子どもが障害者となるとさらに重みが増す。そしてそれは真実なのだということが、想像に難くない。だからこそ重みを感じるのではないかと思う。 ロケ地 / ドイツ、ノルウェー 製作 / 2004 イタリア ・フランス・ドイツ 監督 / ジャンニ・アメリオ キャスト / パオロ … アンドレア・ロッシ ニコル … シャーロット・ランプリング 原作 / ジュゼッペ ・ポンティッジャ      『家の鍵 明日、生まれ変わる』  集英社      今村 明美 【訳】      『Nati Due Volte』(イタリア語版)

家政婦の機嫌

今日の料理は、牛ステーキがおいしい。ズワイがに爪フライ、パーティグラタン、春雨の炒め。こってり料理は眠気を誘います。ベッドメイクに丁寧さが伝わってきます。ふかふかですね。